「早稲田ダサイ」なんていわせない

いっちゃん

例年早稲田大学では、古くから受け継がれている「革マル」体質があって、革マル系の学生が「学生自治会」を牛耳り、何かというと大学当局と対立していた。これが早稲田の体質なんだ、といってしまえばそれまでだが、近年奥島総長が就任した頃には、その衝突が一段と激しくなった。
例えば、入学式に校旗にツバを吐いた新入生を「学生としての本分に反する」として退学処分にしたことがあった。千葉県鴨川市の病院を買収して医学部を設立しようとした時の「森の里鴨川疑惑」、大学の裏手にホテルを建てて営業する計画、サークルの集まる学生会館の建て替え、学生部長の教授が大学の金を使ってヨーロッパに不倫旅行に出かけたという疑惑、自治会は何でもかんでも当局に噛みつき、当局も反撃した。とにかく我々大多数の学生には分からないが、革マルはこのように何かというと大学当局と対立してきた。


(このステッカーはいっちゃんが作ったものです。)

今年平成7年、筆者が家族とともにタイに旅行しようとして、行きの飛行機で見たのは、「早稲田祭中止」という最悪の事態を伝える新聞の記事だった。原因は、昨年革マル系の実行委員会が当局から支給された学祭運営費用を、同じく革マル系のサークル「早稲田大学新聞会」に不正に横流しした、という疑惑だった。学生自治会はそれを強く否定したが、大学当局はこの早稲田大学に長くはびこる「革マル」体質を一掃しようとして、何と学祭中止という強行手段に出たのである。
学祭中止!!........これは早大生のみならず多くの東京の大学生にとって、大変ショッキングな出来事となった。早稲田大学には星の数ほどのサークルがあり、そのかなり多くは毎年11月はじめに開催される学祭を主な活動の機会としていた。そういうサークルにとっては、学祭中止は自分たちの活動の命取りとなる一大事で、大変切実な問題である。当然ながら、学生たちはそういう当局のやり方に対し怒り爆発、一部集会も開かれて学祭を強行しようとしたものもあり、また別の場所で自主的に学祭イベントをやるものもあり、また諦めたものもあった。(一応申し上げておくが、本来学祭が行なわれるべき日にイベントを強行したのはごく一部の学生、それも主に革マル系の学生だった。)


さて、筆者が学部時代に所属していたラテン音楽のサークル「早稲田大学ラテンアメリカ協会」(通称ラテアメ)は、決してその例外ではなかった。革マル系の学生は一人もいないが、10月末の中止撤回を求めるデモにはサンバ楽器を鳴らして参加し、その模様はテレビのニュースにもうつった(筆者も見た。あれは驚きだった。@o@)。
ラテアメは毎年、学祭の期間中は1つの教室を借り切ってラテンライブを開催している。ほかに5月6月頃にもライブをやるが、学祭はラテアメの活動の殆んどといってもいい程重要な行事である。今年も例年と同じく、幾つものバンドが学祭ライブの為に練習を重ねてきた。だから中止が決まった時、部員たちは怒りをあらわにした。
しかしその一方で、彼らは自主的に学外でライブをやろうと企画した。そのライブが行なわれたのは、学祭の開催予定より1週間後のこと、11月7日と8日だった。場所はJR山手線大塚駅前、キャンパスから都電1本でも行けるブラジルライブレストラン。店の好意で2日間貸し切りとなったが、例年4日間のところを半分の時間にしているので、ライブのスケジュールを組むのは大変きつかったようだ。更に早稲田から少し離れていること、7日が金曜日で平日だったこともあって、客の入りはやはり例年に比べると内輪ばかりであった。
でもこれは第一印象はなかなか良かった。筆者は7日にかなり早くから聞きに行ったが、ひとたび会場に着くと、毎年の学祭と同様親しみのあるサンバが流れてきた。その音楽に合わせて踊るものもあり、また演奏者に声援を送るものもあり、これは例年と全く同じ光景だった(まるでサッカーのサポーター ^^;)。例年と違うのは会場で、今年はブラジル音楽ライブを専門にやっているところなので、内装はムードを盛り上げていた。(音響特性は教室と同様、オハナシにならない程最悪だが^^;)

で、いろいろ後輩たちに聞いてみると、やはり誰もが今一つ浮かない顔をしていた。「本当はキャンパスでやりたかった」「仕方ない」「時間的に厳しい」みな口々に言っていた。これは筆者にも痛いほど分かる。彼らはみな20歳前後(筆者とてそれに近い)、一生に一度しかない学生時代の中で、また更に一度しかない、それが1年の時の、いや2年、3年、4年、5年.....(?)の時の学祭、そのそれぞれ一度しかない時を、革マルというごく少数の過激な学生の不祥事、はたまた大学当局による一方的措置によって、無惨に踏みにじられたのだ。まさに「学生時代を返せ!」とでも叫びたくなったに違いない。(大体あの当局の連中は、「おれも高校のころはブラバンに燃えたよな」で書いてあるような感情とは無縁なのだろう。)この後輩たちのことを、筆者は最初は気の毒に思った。

しかし彼らは決して後向きではなかった。ライブをやっている最中は決して白けることなく、懸命にライブを盛り上げようとし、学内でなくてもやろう、いやむしろ大学に頼らず、学外で自分たちの手でライブをやろう、という積極的な意気込みが感じられた。2日目には筆者は研究室の用事があって、それが済んで着いたときにはライブももう少しで終ろうとする頃だったが、彼らは最後の最後まで頑張っていた。
そしてライブが全て終った後、彼らは本当にこの上ない感激にひたっていた。今年は学祭中止という、例年にない大きな試練があったが、彼らはそれを何とか乗り越え、むしろ例年以上の自分たちの「学祭」をやり遂げたのであった。筆者は自分がこのような素晴らしいサークルにいたことを大変誇りに思ったのとともに、もし自分が今でも現役で活躍していたならば、と現役の後輩たちを羨ましくさえ思った。


これはおそらくラテアメのみならず、多くの早稲田のサークルが経験しただろう。学祭中止という試練にもめげず、大学の誰にも頼らずに自分たちの手で自分たちの「学祭」を創りあげようとするその健気さ、情熱はやはり半端ではなかった。世間では早稲田祭中止ということで、早稲田のサークルにいる学生に同情する傾向があるように思えるが、こんな彼らに同情は不要である。中にはこんなにも素晴らしい学祭をやったサークルがあったのだ。それを知って頂きたい。

某週刊誌が早稲田祭の中止をネタに、「早稲田は三流」というフザケタ記事を書いて問題になったことがあったが、

早稲田は決して三流ではない!!

(としようとすると、大学当局は学問に邪魔なサークル活動を締め出そう、学生はただ学問だけやる、それで大学のレベルが上がる、という考えに出るのか?)。早稲田は学祭が中止になったからダサイという人もいるだろう、でも早稲田はもっとたくましいのだ、早稲田祭が中止になったからといって「早稲田ダサイ」なんていわせない、それが早稲田大学なのである。

ところで、この1年後にまた早稲田祭が中止になることは、誰が予想していただろう?

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