いっちゃん
今年もまた夏が過ぎて、秋がやってきました。ともあれ、「空から恐怖の大王が降りて地球を襲い、人類が滅亡する。」という1999年7月のノストラダムスの大予言も結局当たらなかったし(注1)、何とか平和でよかったな〜、なんて安心していたのだ。
しかしその平和はもろくも打ち砕かれた。9月に恐ろしい通り魔事件が2つも発生した。まず9月8日の白昼、東京池袋は東急ハンズ前で通り魔が買い物客を襲い、2人を死亡させた。また9月29日にはJR下関駅コンコースに車が時速100kmで突っ込み、通行人をはね、更に降りて包丁で次々と切りつけて3人死亡、1人重体となった。両者の間には極めて多くの共通点があり(注2)、マスコミはそれを原因と挙げて、犯人が犯行に及んだと説明している。
………いつもそうなのである。酒鬼薔薇などといった何か常識では考えられないような犯罪事件が起きると、やれ家庭環境が悪いだの、精神科に通院していただの、また逆に、学歴が高くて仕事は真面目だったのに(注3)、だのと、世間が犯行の原因を語れば大体こういう常套文句のオンパレードなのである。確かに新聞に紙面の都合、テレビに放送時間の都合があって、報道する内容にどうしても厳しい限界があるからなのだが、それを世間は勝手に鵜呑みにして、その内容が全てだと早く片付けてしまう。
実は、こうやってマスコミの言っていることには、大抵重要なことが抜け落ちているのだ。「トラウマ」或は心的外傷ともいう。この構造はあまりに複雑で、また他人には非常に見えにくく、それ故人々の認識も薄く、日本ではやっと平成7年の阪神大震災や地下鉄サリン事件を境に、PTSD(注4)としてクローズアップされるようになったのだ。
さて、ここでは「トラウマは通り魔の始まり!?」と題した。いや、通り魔に限らず、トラウマは全ての犯罪の始まりなのだが。それはどういうことか?
犯罪者の大半は、周囲に何の前触れも見せずに突然犯罪に走る。前触れがあったとしても、それが周囲に前触れだと気付かれることはあまりに少ないし、仮に前触れに気付いたからとしても絶対に犯罪に走るというわけではない(注5)。ただあくまで、犯罪に走るきっかけが何かしらあるだけなのだ。
そのきっかけとは、かなり多くはその人が過去(特に子供時代)に経験したこと、場合によっては心の傷である。例えば生まれて初めて見た犬にかまれた子供は、「犬は人を噛む動物だ」と覚える。またある程度年配の人々の中には、大き目のマッチ箱を見て検便を連想する人が多かったりする(キタネェ!-_-;)。そうやってその人が覚えたことは、その人の感覚を通して記憶されるので、周囲の人には同じ経験を共有している場合でもない限りは簡単に理解はできない。ここで人々の間で感覚の「ずれ」が生じる。
そしてその人特有の記憶は、時として「フラッシュバック」という形で突然思い出され、その人をある種の症状に陥れる。例えば地下鉄サリン事件の被害者には、電車の床に空き缶がゴロゴロ転がっているのを見ただけで、あの悲劇を思い出して下痢してしまい、そのせいで勤め先を辞めるはめになった人がいる。
その中でも深刻なのは周囲に害を与えてしまう場合であり、時には深刻な犯罪事件を引き起こす。例えば筆者は某TVドラマで、淫乱な母親を憎む男子高校生が、口紅を塗った同級生の恋人に母親を重ね合わせ、猛烈な怒りから暴力を振るう、という話を見たことがある。もうこうなってしまうと、その人の精神状態は周囲の理解を超えたものになってしまう。
そう、確かに犯罪とか人と人との間のトラブルとかは、何かしらの原因・きっかけがあって引き起こされるものである。世間でもよく
といわれ(注6)、ひとたび問題が発生すると人は何かと原因を探ろうとする。しかしトラウマの存在はなかなか気付かれにくく、また仮に気付いていたとしても大概は周囲の人には理解しにくく、時には本人の理解すら超えていることもある。ゆえにトラウマの問題は小さいうちに芽を摘まれず放置され、問題が大きくなってからやっと認識し、その時には既に手遅れになっていたりするのだ。
このようなトラウマの存在、本人はもとより、周囲のみならず社会がもっとよく認識していれば、問題を大きくしないうちに解決できるはずなのである。
それにはまず、その人が時々起こす奇妙な言動、ややもすればトラブルの原因になりやすい言動を、本人のトラウマを知らせているシグナルであると受け止める必要がある。例えば周囲の人をやたらとこき下ろしていたり、はたから見て到底理解できないであろうことで憤慨したり、妙に潔癖で杓子定規だったり、という具合に。
このような言動や性格は、周囲の人にはしばしば不愉快に映るので、それを非難したりしたくなることもあるだろう。確かに相手の悪い言動を指摘することは非常に重要だ。しかしそれとばかりに、不用意にあからさまな非難をしたり、その人を変わり者とかいやな奴とかと扱ったりすると、そうされたことで本人は心にもっと深い傷を負うことになり、ますます心を閉ざし、言動が粗暴になり、人間関係の溝を手がつけられなくなるほど広げてしまうかもしれない(注7)。
そうならないためにも、まず冷静に相手のトラウマを理解することが必要である。これは結構難しいが、少なくとも相手とかなり近い距離でつき合っている、またはつき合おうとするならば、相手にどういう過去があって、どのようなものを心に抱えているかを理解しようとする姿勢は重要だろう。但し、相手が嫌がるのに執拗に聞き出そうとするのはいけない。
また自分がトラウマを抱えていると思うならば、それについて理解してほしいと思う相手に、関連すると思われる自分の過去を偽り包み隠すことなく伝える。場合によっては、それで相手が重い口を開いて自分の過去について話し始めるかもしれない。もっとも相手が、尻尾をつかんで自分の足元を覗いてきそうならば逆効果、そんな人とは付き合わないほうがよいが。
そしてトラウマの存在を知ったならば、最初にその負った傷を癒すことが考えられるが、必ずしもそれはうまくいかない。ならばそのトラウマとどう付き合うか考えるべきである。まずはトラウマを病気のようなものと考え、ちょっとした心遣いで相手の「アレルギー反応」につながる言動を控えるのである。例えば何らかの原因で子供を産めなくなった女性に、子供の写真をつけた年賀状を送らない、とかさりげなく(注8)。
或は、これは自分自身のトラウマとも関係するのだが、トラウマ自体があまりマイナスに働かないように処理するのだ。例えば現在いじめを受けている子供ならば、それを自分の言動のせいにしてしまうと深く落ち込んでしまうので、相手が原因と決め付ければよい(注9)。またトラウマを抱えた人がその影響とおぼしきトラブルを起こしたら、厳しく追及しあからさまに吊し上げてはフラッシュバックを誘発してしまうので、「たまたま精神の平静を失っていたからだ」と寛大に扱い、うまく適応してトラブルを最小限にするのだ。
そのトラウマを逆にプラスに持っていくのは尚更望ましい。例えば、自分の子供を小児ガンで失った人が骨髄バンクに登録する、とか。「あの頃はああいう嫌なことがあったけど、そこである教訓を得た。それがきっかけで現在の自分がいる。」そうでもしないと、それこそ一生を棒に振ってしまう。
ついこの間まで少年だった筆者も、もう早いもので25年も生きている。その間に幾つもの人生経験をしている。その経験は、全てが筆者にとってプラスに作用しているわけではなく、マイナスに作用しているものもある。
就職して半年、長年引きずって改善されずに放置されてきた自分の悪い癖や性格、その原因をひもといてみたところ、過去に自分が受けた数々の心の傷の存在に気付いた。そして自分を取り巻いている家族、友人、教師などが持っている悪い癖や性格も、知っている限りの過去をよく分析して見ると、ああなるほどと分かってきた。そう、
この現実を受け止めきちんと理解すれば、何か人間関係のトラブルに巻き込まれたとしても、ある程度冷静に対処できるのだ。そしてトラブルにより新たな心の傷を負わずにすむのだ。
このことさえ人々が心がけ、適切に対応していたならば、この世から通り魔事件などとうになくなっていただろう。通り魔というのはトラウマを抱え、周りから理解されず、場合によっては自分自身も理解していないだろう、そのトラウマから次から次へと人間関係で失敗し、見捨てられたことを恨み、或はそう妄想を抱いて犯行に及んでいるのだ。
そこには最早、良心の呵責や刑罰の恐怖などといった抑止力はない。下り坂でブレーキが故障した車のように、あとはただわき目も振らず暴走するのみ。罪を裁くことになる前に、人間を砂漠にしないこと、それが最善の対策だと思えるような気がしてならない。
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