痛いの、痛いの、飛んできた!

いっちゃん

あれは1月、正月気分が半ばさめず、卒論発表会に向けて大詰めを迎えていた頃のこと、いっちゃんは研究室に夜遅くまで残り、帰宅するのは夜の11時前後、自宅で夕飯を食べるのもままならない程の忙しさであった。睡眠不足もあって、ひどく疲れて帰宅した。
自宅の最寄り駅のJR京葉線検見川浜で下車し、いつものように駐輪場から自転車に乗った。その時、いっちゃんは寝ぼけまなこで(こういう時、いっちゃんは決まって電車の中で熟睡するのであった)、実にほほえましい光景を目にした。

よちよち歩きの小さい男の子を連れている人だった。普通こういう時間帯となると、子供はひどく眠くなって、親に抱っこされて眠っているようであるが、彼はそうではなかった。というよりも、多分東京ディズニーランドあたりでも出かけたのか、手荷物を多く抱え、とても彼を抱っこ出来なかった。それに彼もなかなか健気で、抱っこなんかしなくていいよという顔をしていた。
とはいえ、さすがに彼も眠くなって、足元がおぼつかなくなったのだろう。いっちゃんが自転車にまたがった時、突然その彼が地面の突起につまづいて転んだ。さて、その彼は今にも声を上げそうになった。すると母親が立ち上がった彼の体をはたいて言った。

「ほら、男の子は泣かないんだよ。(またこれだ。)痛いの、痛いの、飛んでいけー!痛いの、痛いの、飛んでいけー!」

よくあるおまじないである。やはり子供が相手だと、こういうほほえましいやりとりになるのだ。いっちゃんはそれをうすぼんやりと見ていた。その時、

ドン、ガシシシーン!!

何といっちゃんは、よそ見をしながら自転車を走らせ、そのまま駐輪場入口近くに放置され通路にはみ出していた自転車にもろに激突してしまったのだ。前輪が引っかかり、柔道のトモエ投げのような状態でひっくり返り、ハンドルを握ったまま、顔面を地面に叩き付けられてしまった。これは非常に痛かった。右の目の下と顎をすりむき出血しながら、その後そそくさと家に帰った。

まさかあの時、あの母親が言ったおまじない「痛いの、痛いの、飛んでいけ」が、こういう形で効いてしまうとは、一体誰が予想したであろう。確かその母親の手のしぐさが、いっちゃんの方向を向いていたように思えた。その彼の「痛いの」はおさまったようだが、こっちとしてはその「痛いの」をもろに押しつけられてしまったのである。

いやはや、おまじないとは、本当に効くこともあるんですねえ。え?それはいっちゃんがただドジなだけ?そうでしたか、いや失礼しました。

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