いっちゃん
「あいつはいかにもひとりっ子っていう感じのやつだ。」こういわれると、言及されている人について良いイメージを浮かべる人は殆んどいないだろう。大抵の人は、その人を例えば次のように想像するだろう。
某週刊誌では「ひとりっ子亡国論」を書いた。これによると、これから女性の生涯に産む子供の数が減少するに従って、ひとりっ子の割合が急増するのである。こうすると、日本人全体の傾向として、上に述べたような性格となり、そういう人が国の将来を支えるとなると非常に不安、というのである。
お隣中国では、人口抑制策として「ひとりっ子政策」が敷かれたが、その結果子供たちがひとりっ子ばかりになって、それで大事に大事に甘やかされて育った関係で、「小皇帝」というくらいに我儘いっぱいになってしまったのである。他にも産み分けによる男女比の偏り、家の跡取り問題、高齢者の介護問題など、多くの深刻な問題を残したのだが、同誌ではこの性格上の問題をやたら強調していた。
ひとりっ子は、そんなに悪いのか?確かに「だからひとりっ子はダメなんだよ」というセリフはあっても「だからきょうだいのいるやつはダメなんだよ」は聞いたことがない。でもひとりっ子は絶対に独特の性格をしている。家の中できょうだいの中でもまれることがないうえ過保護に育てられる。そこで培われた性格が必ず外に出る。するとそれによる人間関係の影響がまたそのひとりっ子に及ぶのである。
こういうことから、ひとりっ子に対する風当たりは強い。中には相手がひとりっ子だからといって、すぐに先入観を持つ人もいる。(実際、受験者がひとりっ子であるか否かを人事の判定の材料にする企業もあるらしい。)
筆者はひとりっ子である。母親は筆者を産んだ後、2回流産した。もし順調に生まれていれば、筆者には現在高校生位の弟か妹がいた。1回目に流産したとき両親はもう1回産んでみようとしたのだが、2回目も流産。これで、筆者のひとりっ子としての、波乱万丈の少年時代が幕を開けたのである。そこで多くの苦い経験をした。きょうだいがいないので寂しいと思うこともあった。また多くの友達との感覚のズレを感じたこともあった。両親を恨んだこともあった。でも何よりも我慢できないのは、ひとりっ子だからといって、何かと変な風に扱う人々であった。
幼稚園から小学校低学年の頃は、ひとりっ子だからといって、自分勝手も結構大目に見られた(同情されているようでやや不快であった)。しかし高学年から中学校に入ると、いきなり手の平を返すように教師や同級生の態度が変わった。ひとりっ子だからといって、何かヘマやらかすとすぐ「我儘」「自己中心的」であるせいにする。そういえば通知表の生活態度の欄に「協調性に欠ける」という言葉は大抵書いてあった。確かに個性は強い。でも煙ったいのである。ここにも、やっかい者を排除しようとする教育現場の人々の心の貧しさを垣間見ることが出来よう。
ひとりっ子は、結婚でもかなり苦戦を強いられる。男性がひとりっ子の女性と結婚すると、大抵は婿入りし家を継ぐことになる(マンガ「サザエさん」でカツオが花沢さんを敬遠しているのはこのせいである)。また女性がひとりっ子の男性と結婚すると、絶対に夫の両親の面倒を見るはめになる(嫁姑の争いが始まる?)。ひとりっ子同士が結婚すると尚更大変である。2人で4人の親の面倒を見るのは必然的で、それよりも第一に家の跡継ぎ問題が起こる。
法政大学の田嶋陽子教授は、「女が結婚して夫の姓を名乗るのは、家の吸収合併をやっているようなものだ」とかなりの極論を展開していたが、ひとりっ子同士が結婚すると、やはり「吸収合併」は起きて、片方(特に嫁側)の家が消滅してしまう。「合併」するのならば、せめて「太陽神戸三井」みたいに、いろいろくっつけてしまえばいいのではないか。(例えば鈴木さんと山田さんが結婚すると「鈴山」となる。)いや、こうやっても、ひとりっ子の結婚は大変であることには変わりはない。
数年前、佐野史郎演じる「冬彦さん」ドラマが人気を呼んだが、とにもかくにもひとりっ子には特有のイメージがつきまとうのである。中には「ひとりっ子と知ったらダメ人間だと思え」という考えを持つ人までいるらしい。この「ひとりっ子バッシング」、これから少子化が進むことを人々が深刻に受け止めることにより、ひとりっ子そのもののイメージまで傷つき、よりエスカレートしているように思われる。いつになったら我々ひとりっ子は息苦しくなくなるのやら。
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