いっちゃん
いっちゃんが生まれたのは、千葉県山武郡成東町である。ここは九十九里海岸の近くにある田舎町で、ここは伊藤左千夫の出生地として有名である。いっちゃんの両親は成東町に育ち、父の実家は農家、母の実家は写真店を経営していた。横浜に住んでいた時も、いっちゃんはよく成東に行った。いっちゃんも決して例外ではない。昭和50年前後の生まれの人では、こういう人が少しばかりいるだろう。幼い頃、いっちゃんは横浜の公団住宅に住んでいて、そのトイレは水洗の洋式だった。そういういっちゃんにとって、汲み取りトイレは本当に気持ちの悪いものだった。
自分の出したモノがモロに見える、猛烈にクサイ、そして落ちそうで怖い.....。いっちゃんが成東に来た時には、このトイレの問題が切実だった。双方の実家とも、便所は汲み取り式だったので、まさしくいっちゃんにとっては、大をする時に入れるところがなかったのだ。一応全く入らなかったわけではないが、いつも拒否的だった。
それで、よくいっちゃんの叔父(母の弟)が、その知合いの経営する喫茶店「たに」に、よくいっちゃんを連れて行ったのだった。ここは中心街にあって、トイレの水洗化が進んでいた。いっちゃんはそことなると行けるのだった。いっちゃんが「うんち」といえば、叔父はそのチョクソモレスンのいっちゃんを自転車の後部座席に乗せ、徒歩約10分の道のりを走り、「たに」まで運ぶ。今考えれば、本当におかしな話である。
「うんち、たに!うんち、たに!」そのいっちゃんは今でも、汲み取り式便所が苦手である。どころか、大をするのはいつも洋式なのである。おかげで、いっちゃんは中に長い間モノをためこむという、健康に悪い癖がついたのだ。一応、そのおかげで各駅停車症候群にはならずに済んだんだけどね。
「便所」「トイレ」「ご不浄」これにはいろいろな言い回しがある。「山」という言い方もあるらしい。さて、トイレが水洗でないと入れなかったいっちゃんが、後に水洗、いや推薦でなくて早稲田に入ったというそれこそ
の人生を歩むことなど、誰が知っていただろうか?
当時、成東高校は地元ではまあまあの実力校で、阪神の中村元監督など球界の有名人を数人輩出していたが、あと一歩のところで負けて、甲子園への出場は長年の悲願であった。
同校が甲子園に行くのを期待していたのは、いっちゃんの祖父は決して例外ではなかった。写真店のショーウィンドウにトーナメント表を張り、テレビで地方大会の試合を見て、結果が出てはその表にペンで書き込んでいた。祖父の野球好きは近所でも有名であった。シーズンになるとテレビに釘付けになり、誰かがチャンネルを変えようとすると怒った。いっちゃんが夏休みに成東に行くといつもテレビでは高校野球が放送されていた。このせいで、いっちゃんは高校野球を熱心に見るようになった。
そしていっちゃんが中学3年の夏、成東高校野球部は有力な押尾健一投手(現在ヤクルト選手)を抱え、千葉県大会ではシード権Aをもらっていた。実に順調な滑り出しであった。他の有力校の打線をことごとく抑え、ついには決勝で甲子園常連の拓殖大学紅陵高校を倒し、長年の悲願を達成した。
さて、成東高校が甲子園に出場して、いっちゃんの母の実家で、この時を一番心待ちにしていた祖父は…………。残念ながら、この年の5月、80歳の誕生日の手前で、食道癌で他界してしまったのである。苦しまない、大往生だったが。家族全員、口々に言った。「あと3カ月、長生きしてれば良かったのにねえ。」