「いっちゃんの気まぐれエッセー集」読者の皆さんからの感想(旧)


「ドラえもんに寄す」(ぴのさん)

こんにちは。藤子F不二雄先生(以下F先生)が亡くなって、大変ショックでした。「ドラえもん」は、読んでいてただ笑わせるだけでなく、何か考えさせられるもの、教えられるものも決して少なくありませんでした。「ドラえもんに寄す」の一文でのび太が無人境へいき、己の愚に気付いた(15巻の「どくさいスイッチ」の話でしょうか)ことを書かれていますが、僕は子供のころ読んだときは、今一こういったことがピンときませんでした。しかし、今改めて思うと、分かるような気がするのです。そして、エッセイにもあった、独特のちょっと古い世界というのが、僕は好きです。登場人物皆が、子供らしく屈託なく生き生きとしているのです。子供はこうでなくちゃ!と思います。F先生の作品は「ドラえもん」に限らず、ただ面白ければ良いという、そこらへんの漫画とは、まったく違う、素晴しいものです。これは藤子不二雄A先生(以下A先生)のもそうだと思います。小学校のころ、まだ「藤子不二雄」だったころ、たまたま「黒ィ(笑う)せぇるすまん」や「魔太郎がくる!!」を読んだとき、これが「ドラえもん」を書いた人の作品か!!と驚かされた覚えがあります。(後にA先生の方が書いた作品と気付いたのですが)こちらの方も、違った意味で、考えさせられましたが、まだ子供だったので、ブラックユーモアが理解できなかったのです。

本当に、この二人はとてつもないコンビだったと思います。変なたとえですが、東西の横綱がタッグを組んで戦っているようなものではなかったでしょうか。F先生の追悼番組で、ゲストのA先生が「藤本君のような漫画家はもう今後出ないだろう」とおっしゃっていましたが、納得する反面、寂しさを感じました。しかし、子供たちに、夢見るというきっかけを与えてくれる作品が是非とも出て欲しいと思います。


「子供は邪魔ものか?」(ぴのさん:メール文章を抜粋)

 余談ですが、僕が好きなフジ系の「世界名作劇場」が今月で、「家なき子レミ」を最後に20余年の幕を閉じます。数少ない子供向けの良心的な番組でしたので残念です。僕の育った岩手では、子供のころはフジ系局が無く、(平成3年にフジ系の岩手めんこいテレビが開局)「名作劇場」は別の局が早朝や夕方に何カ月か遅れて変則的に放送していました。特に小学校のころ放送されていた「わたしのアンネット」や「小公女セーラ」は非常に感動しましたが、あまりにもかわいそうな話で、見ていられなかったこともあります。今放送中の「家なき子レミ」も原作を大幅に脚色(原作の主人公レミは男の子だが、「名作劇場」のレミは女の子)していますが、前向きに、健気に、明るく生きるレミの姿に共感を覚えます。「名作劇場」が終了する理由として、視聴率の低迷や、名作を殆ど放送し役割を果たした等があるそうですが、多くの感動を与えてくれた「名作劇場」を見られない、これからの時代を生きる今の子供が少しかわいそうな気がします。

  そんなことを思い、「子供は邪魔ものか?」のエッセーを読みました。子供を大切にしない社会や国家は間違いなく衰退の一途をたどるでしょう。断じてあってはならないことだと思います。子連れだから、入居を拒否するなんて大家は、ひどすぎます。情けないことです。子供はうるさいと煙たがる大人も多いけれど、僕は、子供はうるさいくらいがちょうどいいと思います。多くの失敗を繰り返しながら、学んでいくものです。元気で溌剌と、あちこちを跳ねまわるのが、子供に与えられた仕事だと思います。それを優しくじっと守って、道からはみ出さないようにするのが、大人に与えられた仕事ではないでしょうか。僕に言わせれば、物音たてないくらい静かで、暗くじっとしている子供なんて嫌です。


「おれも高校の頃は、ブラバンに燃えたよな」(KAZUさん:ホームページより引用)

私に青春時代というものがあるとすれば、それは吹奏楽部でパーカッションを演奏していた中高時代だろうと思う。特に高校時代はただひたすら、部活動のため、吹奏楽のため、そして、楽器を演奏するために、通っていたようなものだった。中学の時に気紛れではじめた打楽器、しかし、いつしか、それは自分にとって、とても重要な生活の一部となっていた。音楽を演奏するからには人に聞いて貰いたい。そして、開いていた、定期演奏会。私にとって、それはコンクールで賞を目指すことよりも重要なイベントだった。やるからには、かっこよく目立とうと、多少邪な気持ちを持ちつつ、自分の見せ場のソロばかり練習していたような気もする。

本番、スッポットライト。
ソロの部分がきっちり決まり、客席から拍手が起こる。
この時の気分は最高だった。

やはり、演奏するからには聞いてほしい。見てほしい。音楽が、吹奏楽が大好きで演奏している時は楽しくてしょうがない。そんな気持ちが見ている人にも伝わって、楽しんでもらえたら。


「定演でMN5」(ちかこさん:ゲストブックより)

「定演でMN5」、読みましたよぉ〜!!!なんか、すっごく高校時代が懐かしくなりました。。。(^^そういえば、大学になってから、あまり音楽会とか、行ってないなぁ。学生と社会人の比較とか、アンケートの書き方とか、ものすごく参考になりました。。。また、音楽会に行く前には、必ず読みにきま〜す!!!(^^)


「ひとりっ子で悪かったな」に対する感想(Anneさんから頂きました。)

「ひとりっ子でも悪くない」

私の場合、ひとりっ子が悪いとイメージしたことは、ほとんどありません。
子どもの頃を想いおこすと、むしろ「いいな、うらやましい」とさえ思っていました。
兄・妹の2人兄弟である我が娘も、以前「ひとりっ子っていいよね。自分のことだけ見てもらえてさ」と言ったことがありました。人間誰しも、自分の存在を認めてほしいものなのです。(最近は、「ひとりっ子じゃつまんない」と言っていますが)

いっちゃんが述べているひとりっ子の特徴は、ひとりっ子でない人にも当てはまります。
「ひとりっ子の傾向」とされているのでしょうが、それはすべて、その子・その人の生まれた星の違いであるとか、個性・親の教育方針・育った環境・周りの人間関係などなど、様々な要因があってのことでしょう。

ひとりっ子でも、いっちゃんのように楽しくユーモラスで、ここぞという時には俄然がんばる勇敢さを持ち合わせ、知らない人にも、苦にもせずステッカーを作ってあげるような、そんなやさしさを持っている人もいるではありませんか。
ひとりっ子で育ったから?、「人が好き」という感じがするのですが、どうですか?

問題なのは、ひとりっ子を育てる親の意識ではないかなと思います。
大事に大事にするも良し。がしかし、一人の子どもに多くを期待しては、子どもも迷惑というものですよね。「子どもは親の思うようには育たない」とどこかで聞いたことがありますが、子どもは親の所有物ではないのです。小さくても、一人の人間ですよね。愛情の示し方を、勘違いしている親は、昨今多くなってきていると感じます。

特に跡取り問題は、ひとりっ子と限らずとも、長男にとっては迷惑千万きわまりないことでしょう。長男であるが故に、(やりたい人もいるでしょうが)やりたくもない墓の世話を押し付けられて、気の重〜い気分にさせられます。本人だけでなく、その結婚相手(所謂、嫁)も悩む訳です。先祖・親に対する感謝の念は勿論あるのですが、「しょうがないからやっている」という人、いると思います。

我が家の主人は長男ですが、主人の下に妹2人。主人の両親は、既に亡くなっています。親の○○回忌など法事の時には、嫁としていつも思うのですが、「親を思う気持ちはみな同じなのだから、順番にやってよ」と言いたくなります。
ちなみに我が家の長男には、「本家の長男、○○家の○代目」とやられたもので、「長男だから」と言う気もないし、そんな思いをさせるつもりは毛頭ございません。「私たちが死んだ後は、あんたの好きにして」というところです。

ひとりっ子に対して風当たりを強くしたり、おかしな先入観を持つような人は、うわべだけで人を判断する人でしょう。そう決め付ける前に、その人なりをもっと知ろうとする気持ち持ってほしいものですよね。たぶんいっちゃんは、「知りもしないで、もの言うな」と思っていることでしょう。
それとも、自他共に「ひとりっ子の悪いイメージ」を認めますか?
「ひとりっ子でも悪くない!!」と私は思います。自由にのびのびと、その個性を 最大限に発揮してほしいものです。これからも応援しています。

筆者:貴重なご意見どうも有難うございました。そう、ひとりっ 子は悪くないのです。そういう悪いイメージを認めるなんて、 とんでもない!……こういう理解のある人が、もっといればい いんだけど……現実は厳しいのです。

戻る。


感想はこちらへ。