いっちゃん
日本の戦国時代の3武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を描写した川柳に、次のようなものがある。「鳴かぬなら〇〇〇〇〇〇〇ホトトギス」さて、この〇〇〇〇〇〇〇に何が入るか?
家康は幼少のみぎり、主に今川家や織田家の人質として日々を過ごした。それで、ありとあらゆる欲求不満を押し殺すことを覚えて、気が長くなったのである、という説が有力なのだが、果たしてどうなのだろうか。
確かに人質時代が彼の人生に与えた影響は大きい。しかし人質というのは、実は意外と安全なのである。何故なら、人質は死んでしまったら何の価値もないからだ。その家の人は彼を殺したりはしないばかりか、もし彼が病気になると懸命に救おうとする(当時、医学は当然ながら未熟なので、病気で夭折する人は現在に比べれば非常に多かった)。だから、家康は身の危険にさらされることが、武士の子供にしては非常に少なく、人生を長く考えることが出来たのだ。
その一方、信長は父織田信秀の跡取りなので、いざ戦となればたちまち命を狙われやすい。それに、最前線で戦うことを要求されていた。だから信長はいつも、明日死ぬかもしれないと思うようになったのだ。それで酒をガブ飲みし、娯楽を盛大に楽しんだ。何でも物事をすぐに決めてしまう傾向があった。これが信長と家康の違いである。
誰でも、明日死なないとは断言できない。その危険性が非常に高いと思われている人(例えば重い病気を抱えた人)は、かなり生き急ぐ傾向がある。そこなのだ。信長は明日死ぬかもしれない少年時代を過ごしたので、生き急いでいたのだ。その一方で家康はゆっくり生きようとした。それが二人の性格の違いといえよう。どちらがいいとはいえないが。
本当に、人生は長いといえばいいのか、短いといえばいいのか、どちらが正解かは分からない。「人生わずか25年」かもしれないし、逆に100年かもしれない。長いと思えば物事を長く待てるのである。(実際家康は74歳と、当時としてはかなり長生きした。)
「人の一生は重荷を負ひて、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。…」これは、日光東照宮の入場券の裏に書いてある家康の遺訓である。果たして忙しい現代の日本人が、こういう生き方を出来るだろうか?中には出来る人もいるだろうが、多分少ないだろう。
とかかんとかいって、実は家康は意外と気が短いのではないか?「鳴くまで待とうホトトギス」のすぐ後にはどうせ「待ってたぞ早く鳴け鳴けホトトギス」となるのではないか。偉そうなことをいっても、実はこっちが本音だろう。