ドラえもんに寄す

いっちゃん

1996年9月、人気アニメ「ドラえもん」の作者として知られる「藤子不二雄」という二人組のうちの一人、藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)先生が62歳の若さで亡くなった。この二人組の功績は、日本アニメの父である手塚治虫氏に続く、偉大なものであった。そういうわけで、この文章を書いたのは、F氏に対する追悼の意味もある。

「子供たちに夢を」何でも叶えてくれるドラえもんは、まさに子供たちの英雄であった。実際、筆者も少年時代をドラえもんとともに過ごした。どこでも行きたい場所に行ける「どこでもドア」、空を自由に飛べる「タケコプター」、もしも世界がこうだったらというのを実現する「もしもボックス」など、ドラえもんの4次元ポケットには、子供たちの夢を叶える素晴らしいものが盛り沢山である。こんな魅力的なドラえもんは、大人でもひきつけられる。

何といっても、「ドラえもん」は子供たちの純粋な心から生まれている。いつも話は勧善懲悪の方向に流れている。のび太はある難問にぶつかって、ドラえもんに借りたひみつ道具で解決するのだが、最後には彼自身で解決することになる(例:「無人境ドリンク」(注1))。或はドラえもんがのび太に貸した道具をジャイアンやスネ夫に取られ悪用されると、最後に二人に罰が当たる。こういう話の展開である。
また、キャラクターに丸みがある。一応SFなのだが、だからといって先を行ってはいない。ドラえもん自体頭でっかちで短足(注2)、決して2枚目ではない。舞台設定が前近代的である(注3)。また話の題材もSFながら日常的である。メカメカしいロボットがミサイルを発射したり、というような場面は映画でもない限り出てこない。それにしても猫型ロボットで耳をネズミにかじられて青くなり(注4)、それでまたネズミを怖がる、というキャラクターの設定も、ユニークである。どこからひねり出したのか?ひみつ道具のネーミングもいい。例えば、

いかにも子供のお遊び的道具が多いが、実にうまい。

筆者はエンジニアを目指して大学で工学を学び、現在メーカーで技術者をしているので、人々の夢を科学技術で叶える使命感を持っている。従って、発明に関しては大変関心がある。実際、夢を叶えるという目的で、ドラえもんのひみつ道具に似たものは数多く発明されている。例えば「糸なし糸電話」は、携帯電話として完全に実現し、既に定着している。インターネットは、世界中の好きな所へ行けるということで「どこでもドア」のようなものとなった。他にも沢山ある。とにかく、科学技術でモノが発明されるには、必ず人々の夢や希望がその前に存在する。それゆえ、エンジニアは人々の夢に対して無関心ではいられないのである。(何とごう慢な態度!?)

♪あんなこといいな、出来たらいいな、
あんな夢こんな夢いっぱいあるけど、
みんなみんなみんな、叶えてくれる、
不思議なポッケで叶えてくれる…

今では小さい時にドラえもんを見て育った若い人が、子供と一緒にドラえもんを見ている。或は映画館でオールナイトのドラえもんを見ているそうだ(注6)。つい最近は、「ドラえもんの最終回」と題した実に感動的なストーリーが、チェーンメールとして出回るまでになった(注7)。それ程、ドラえもんは絶大な支持を得ているのである。何故だろうか?やはり、ドラえもん程子供たちの夢を純粋に反映した漫画は日本には存在しない。それしか説明がつかない。だから、世界にも広まったのである(注8)

子供たちは夢見るものなのである。しかし悲しいかな、大人になると心は現実に汚され、夢を見ることなど忘れてしまう。藤子氏はその大人の現実に警鐘を鳴らしたのだ。「ドラえもん」が生まれた当時、日本経済は高度成長の真っ盛りで、次から次へと新しいものが生産され、人々は夢を見続けていた。しかし一旦その成長がサチる(エンジニアの間でいわれる「飽和」という意味の言葉。英語のsaturationから)と、人々は夢を見ることに飽きてしまい、荒涼とした現実の中で生きることとなった。悲しいかなこれが大人の現実なのである。

去年だったか、テレビ朝日のコマーシャルで、ドラえもんが言っていた。

夢見ることは、僕たちの宿題です。

素晴らしい言葉である。大人のみならず子供までが夢を見ることを忘れてしまっている今日ではあるが、これからもドラえもんには子供たちのみならず、多くの人々の心に行き続けていってほしい。その為にもF先生とコンビを組んだ藤子不二雄A先生には、是非とも頑張って頂きたい次第である。
末尾ながら、改めてF先生の御冥福を祈る。合掌。

ドラえもん関係のリンクとして、次のようなものがあります。

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