〜過剰報道の果てに〜
いっちゃん
イギリスのチャールズ皇太子妃だったダイアナさんは、19歳で王室に入ってから2人の王子を産み、暫く夫を支えてきたが、夫の浮気などで愛情が冷め、ついに女王の勧めで離婚した、というイギリス王室で異例の人だった。その間皇太子妃としての重圧やストレスから、摂食障害にもなったという、まさしく「悲劇のシンデレラ」であった。
離婚してからは自由の身になり、社会福祉活動を始めたり、また新しい恋を見つけたりと、彼女は別人のように変わった。これから前途洋々たる人生が待っている…………しかし彼女をそうさせてくれなかった人がいた。マスコミである。イギリス王室からの出戻りという珍しい存在、あの笑顔、人柄、大衆受けの良さは、マスコミの格好の餌食、まさに大穴の万馬券。だから芸能人でもないのに、恋人が、エイズ患者の支援活動、バカンス、といってマスコミに追い回される。確かに話題性に富んでいて、我々一般大衆にとって興味の尽きない人であるが、その実態がこうだったとは、誰も想像が出来なかった。
そしてついに悲劇は起きた。ダイアナさんは恋人との地中海のバカンスから帰る途中、パリでパパラッチ(注1)の集団に捕まった。執拗に追ってくるパパラッチをかわすように、運転手は酒に酔っていたにもかかわらず、必死に時速200km近くまで車を飛ばした。ところがハンドル操作を誤り、トンネルの壁に激突、恋人アルファイド氏と運転手は即死した。
そして間もなく、ダイアナさんも天に召された。36歳の若さ、人生はまだまだこれからだった。
この訃報は世界中を駆け巡り、人々は深い悲しみに包まれた。ロンドンのバッキンガム宮殿では半旗が掲げられ、多くの市民が彼女の霊を慰めに花をたむけた。多くの人が泣いていた。フランスも重苦しい雰囲気が漂い、アメリカのクリントン大統領、インドのマザー・テレサも哀悼の意を表した(注2)。テレビ局や新聞各紙は、みなこの記事を大きくとりあげた。もう取材競争といっている場合ではなく、彼女の死を悲しむほかはなかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?...それはとりもなおさず、マスコミである。まずテレビの視聴者や週刊誌の読者が興味を持つ、すると特ダネ記事のある週刊誌が売れる、または番組の視聴率が上がる。その特ダネ記事はいわば「金のなる木」であり、マスコミ各社はハッチャキになってそれを狙い、競争する。その厳しい競争に勝つ為には、もうプライバシー侵害とか暢気なことを言ってはいられないのだ。
マスコミは、とにかく公衆に情報を公開するのだから、それなりにその表現に責任を持たなければならない。その為に、発行や放送の前には、必ず念入りにチェックを行ない、編集長やディレクターなどが最終的に的確な判断を下す(注3)。
また、情報を公開するよりも前に、その情報を取材する側でも注意が求められる。いくら密着取材だからといっても、よその家にズカズカと上がり込んだり、行く手を阻んだりしてはいけない。ただこれに携わる人は大抵末端の人で、上にいる編集長は彼らに記事を要求はしても、その取材の過程までに関心は持たない。ゆえに、今回は上の責任者が全く知らない間に、パパラッチたちが暴走してしまったと思われる。
パパラッチたちは、もし射止めれば家を建てられるであろう大金を稼げるような特ダネを狙い(注4)、それを新聞社などに送る。とにかく生活がかかっているので、頭は取材のことでいっぱい、あろうことか今回は、激突して血まみれのダイアナさんを撮影し、救護にも加わらなかったという大バカタレ。
で、そのパパラッチたちの実態を知っていて、過激な記事を自粛した会社も多くあるが、依然それをとり上げる会社もあり、パパラッチたちに多くの報酬を与え、鼻息荒くその記事をとり上げ、またすごいネタを要求する。視聴者はただ興味だけでその特ダネに飛びつき、またワイワイはやし立てる。過激な報道には確かに批判はするが、それでもせっかく得た情報なのだから、と食い入って見る。
それで、その間の取材対象になる有名人はいかに?...取材を受けることは、必ずしも自分の意思とは関係がない。それでいて、何かマスコミによってスキャンダルになると、急いで記者会見をして、疑惑を晴らそうとあれこれ説明する。有名人はそういうヒマな連中につき合っている程時間はないのに、である。で、もし取材を頑に拒否すれば、マスコミはおろか世間の批判にさらされる(注5)。だから有名人は、取材されてプライバシーを捨てるのも仕事のうちなのである。納得いかないが、特に芸能人は。
でもダイアナさんはイギリス王室の皇太子妃であって、決してマスコミに出るのを仕事とはしていない。だから別にファンサービスなどしなくてもよい。それをマスコミは勝手なもので、ここぞとばかりに浮気のシーンを取材し、王室を暴露した。離婚や自殺未遂などは多分これが原因だろう。で離婚すれば、取材チャンスが増えて、やれ恋人だ、バカンスだ、と騒ぐ。ついにはCGの合成画像まで捻造した。で今回の事故で、某編集長は
「我々はただツーショットだけが欲しかった。それを1枚だけ撮らせてくれたならば、あんな追跡はしなかった。」
と苦しい言い訳をした。全く、こいつらの頭の中には「取材」の文字しかないのか?
本当に、今回の失態には怒りを超えて呆れるばかりである。かくしてダイアナさんは、「大穴」記事獲得競争の犠牲者として、その短い生涯を終えた。過去にマスコミの取材によって不利益を被った人は多いが、彼女ほど不幸な人はいなかったであろう。
でも今考えると、彼女は死んでかえって良かったのかもしれない、と思えるのだ。さすがのパパラッチも、天国までは追いかけて来る筈がない。これがもし生きていれば、毎日朝から晩まで、死ぬまでマスコミに睨まれて生活することになる。誰だって、いつも自宅の前に誰かがうろちょろされれば、気持ち悪いだろう。
でもその前に、マスコミ、それと我々視聴者さえ静かにしていれば、彼女は離婚もしなかったし、ましてやこのような非業の死を遂げることはなかった。
葬儀は普通の市民であるが、元王室の人ということで、国を挙げて盛大に行なわれ、その葬列の前にはロンドン市民が200万人も集まり、多くの号泣の声が響いた。ウェストミンスター寺院では、生前彼女が親しくしていた歌手Elton Johnが涙ながらに「Candle in the Wind」を歌った(注6)。彼曰く、「さようなら、英国のバラよ」。
どうぞダイアナさん、天国で愛するアルファイド氏と幸せに、マスコミのいない静かな時をお過ごし下さい。アーメン。
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