いっちゃん
少子化………これは現在の日本が抱えている、不況と並ぶ大きな社会問題である。これを解決するために、政府は育児支援として保育所の増設とか、子供を持つ親の税を減らしたりと、表面的にはあの手この手でやっているようだ。そしてその行った政策は、幾らか効果を上げているようだ。でもこれは、根本的な解決にはなっていない。本来ならば、これ以前にやるべきことがあるのではないか?そう思って筆を執った。
コンサートホールなど公共の施設でよく「子連れお断り」の掲示がされていることがある。レストランでも時間帯によって、子供連れの客を制限しているところがある。或はアパートの入居においても、「子連れ入居お断り」なんていうのがある(注1)。そうでなくても、満員電車に赤ん坊を連れてベビーカーで乗り込もうものなら大変、周りから白い目で見られるのである。
一体何故、子供連れはこうやって肩身が狭いのか?答えは単純、迷惑だからである。子供は辺り構わず騒いだりするから、音楽会などには禁物である。アパートに子連れを入れれば、ドタドタ走り回られたり、或は食べこぼしやおもらしで床を汚されたりする。
ただでさえ子供は、親にとって大変なお荷物となる。子供がいるせいで、食事や洗濯などの家事も余計に手間がかかる。養育の苦労も計り知れない。だからたたいてしまうのもうなづける。外に出歩くにも、場合によって抱っこおんぶする必要もあるし、子供が騒ぐと周りに迷惑である。迷子になると大変である。そうかといってよそに子供を預けようとしてもそう簡単にはいかない。こうやって、小さい子供は親にとって、大きな負担となるのである。
「要するに、幼児とはあちこちで騒いで迷惑となるのだ。だから世間にいないほうがいいものなのだ。」………おいおい、ちょっと待った!確かに子供を産まなければ、親も決して足手まといになることはないし、さぞかし楽だろう。学校でいじめだの偏差値だのと問題が起きることもあるまい。でもそうなったら、人は死んでいく一方で、いずれ子孫が絶えてしまうことは明らかである。未来はどうなるんだ!
それに第一、誰でも子供だった頃があるだろう。ところが大人の大半は、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、子供の頃の記憶を忘れている。だから子供は全くの他人事で、子供の立場には無神経である。「フン、今のガキは欲しいものは何でも手に入るから、我慢が足りないんだ(注2)。」そりゃそーだけどさ。でもだから邪魔だというのは筋違いじゃあ〜りませんか?
もっとも、子供は昔のほうが大事にされていた。何故なら家庭にとって、その当座でプラスになるからである。炊事の火起こしや買物など、子供が手伝っていた家事の種類は多く、手伝いにより他の家族は楽になった。
しかし今は機械化が進み、子供に家事を手伝わせる必要性もない。むしろやらせると能率が下がるだけなのである。おつかいに行かせれば車が危ない。掃除機は大き過ぎて使えない。で結局食って寝て大きくなるだけで「穀潰し」役立たず。子供を持つことのデメリットばかりが残った。
そもそも、なぜ子供は迷惑を掛けるのか?世間について右も左も全く分からないので、こういうのを迷惑というんだとか、なぜ公共の場所で騒いではいけないか、などと説明しても、すぐには理解できない。だから、無意識のうちに迷惑を掛けてしまうのだ。
だから親は苦心して、何とか子供を鎮めようとする。これは親として当然の行為だが、多くの場合空しいものとなる。親とて子供の言動を一から十まで完全に制御できるわけではないのだから。子供が音楽会でむずがり声を上げたら、その口を手で塞ぐのが一番確実で早い(注3)。
子供が幼ければ、親の説教などは暗号に等しいものである。それに動き回るのは自然な動物的本能であって、誰に命じられたわけでもない。それを大人の都合で、不必要に抑圧されて、ストレスが最高に達する。
もっと一般的にいえば、子供はあくまで成長過程の真っ只中で、「発展途上人」とでもいえばよかろう。更にいうと大多数を占める人間(大人)が当然の如く備えている能力を備えていない、いわば社会的弱者(注4)となる。社会的弱者は社会の足を引っ張ることになる。だからかつてはよく切り捨てられた。しかし基本的人権思想のある現在では、弱者でも切り捨てることは絶対に許されない。
社会的弱者は保護して、普通の人と同じ生活をおくれるようにすべきである、という考えは結構社会に定着している。しかし子供に関しては、保護すべき弱者という認識はうすい(注5)。しかも弱者保護の考えは、大部分見かけ上のもので終わっていて、心から弱者を受け入れようという姿勢になっていないのだ(注6)。
何よりも、子供は宝ではないか。「発展途上人」といったのも、将来発展する可能性が十分にあるからである。そういう意味でも、親がその子供をよくしつけることは重要である(注7)。
しかし一方で子供であること、子供を抱えていることが、克服できない障害になるようではいけないのだ。克服されず残る限り、子供はますます生まれなくなり、たとえ生まれたとしても世間の冷たい目にさらされ、大人の都合で「オトナコドモ」を演じさせられ、本当に気の毒な子供時代を過ごすことになる。
ところでさっき、「ガキは迷惑だ、だから出ていけ」といっていた。ならば大人は迷惑じゃないのか?………これには大人は反論できないと思う(注8)。そこでいざという時は、非常にインチキな手を使うのだ。「年相応の言動」の合理化(注9)。誰でもやる悪いことを、子供の行為に定義し、その行為をする人を「子供っぽい」と非難するのだ。そして誰でもやる良い行いは、大人の専売特許と定義してしまう。
これは子育てには好都合である(注10)。そしてそれを刷り込まれて育った大人が多いこともある。しかし「年相応の言動」には、大人の大変な傲慢さが垣間見えるのだ。大人の悪を排除して子供に押し付ける、これはいってみれば、自分の家を掃除して隣りの庭にそのゴミを捨てる行為と同じだ!子供としてはたまったものじゃない。それで「子供」という存在そのものを邪魔だという。これでは一向に少子化問題が解決されるはずがない。
結局のところ、少子化問題の解決の糸口は、世間の大人がそういった身勝手な態度を改めることにあるようだ。上っ面だけやっても無駄なのだ。我々が心から子供をこの世の中に受け入れてこそ、初めて少子化問題は解決に向かうだろう。
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