渡る世間にクレーマーあり

いっちゃん

1999年7月10日(土)の新聞の夕刊に、大変ショッキングな記事が掲載された。筆者はその晩に会社の第1次研修クラスの同期社員と飲み会に行っていて、その事件を知ったのは翌日だったのだが(注1)。東芝製のVTRの修理を依頼した福岡市在住の男性会社員(38)が、担当のあまりに無礼な電話応対に怒って、その電話音声を録音したのを1999年2月18日にWWW上に掲載したのだ。
彼はちょっとした仲間内に聞いてもらうだけのつもりだったが、ニフティーのフォーラムなどを通じてこのページはたちまち有名になった。そしてこれは一般のネットサーファーに広まり、ついにはマスコミに取り上げられた。7月10日に新聞に掲載されてからというもの、そのページのアクセス数は1日ン十万程度となり、日本のネット上に空前の大騒動が巻き起こることになった。

筆者は早速その掲載の翌日に開き、RealAudioファイルをダウンロードして(注2)聞いてみた。すると、定年間近とも思える渉外担当者(注3)と、会社員との凄まじい口論があった。担当者の発言には次のようなものがあって、これが大変な問題となった。

「無礼なんかじゃないですよ。お宅さんが何回も何回も仕事中にかけてくるから。お宅暇でしょう。
「だから原因が書いてあるじゃないですか。それを少し理解しなさいよ。屁理屈ばっかし言ってたんじゃ。」
「お宅さんみたいなのはお客さんじゃないんですよ。クレーマーっていうの。」
「じゃ切りますよ、お宅さん業務妨害だからね。」

最初これを聞いたときは、「こんなひどい電話応対があるのか」と驚いたが、それにしてもあまりに出来過ぎる。この会社員もよく、こういう電話応対を録音していたものだ。というか、あまりに出来過ぎているので、まさかこの会社員が捏造したのではないか、と疑いさえした。いや、これは決して捏造ではなく、こういう応対をした東芝の担当者が実在したようだ。このページを見た人々からは抗議や嫌がらせの電話・郵便物・メールが殺到し、東芝は当初ただ平謝りに謝るのみだった。
しかししばらくすると、今度は東芝がページの削除を求めて、7月12日に福岡地裁に訴えた。このページのせいで東芝の企業イメージが傷つき、業務妨害にあたるというのだ。こうして戦いの火ぶたが切って落とされ、東芝は今度は手のひらを返したように会社員との面会を拒否、どころか会社員の行為を誹謗中傷だとして逆に抗議した。ネット上にも余波が広がり、掲示板などで激しい議論が続き、会社員にもやり過ぎだという厳しい非難の矛先が向けられた。
そしてこの戦いは、7月19日に東芝が提訴を取り下げ、町井副社長が会社員に直々に謝罪することでひとまず終結した。見かけ上は全面的に会社員が勝った。……しかし実態はそうでもないようだ。確かに謝罪を勝ち取った会社員は「約束通り」(注4)音声ファイルを削除したが、第一の理由は謝罪ではなかった。会社員には連日のように誹謗中傷のメールが山のように届き(注5)、各地の掲示板にも会社員を批判する書き込みが相次いだ(注6)。更に知人が裏切って彼の本名や住所・電話番号を公表してしまっては最後、無言・脅迫電話は勿論のこと、ついにはカミソリの刃を自宅に郵送されるなど、日常生活に支障をきたすことになり、泣く泣く閉鎖を決めたという。……結局どちらが勝ったともいえないのだ。


うーん、何というべきか。確かに相手がお客である以上、このような担当者の暴言は決してあってはならないことである。筆者は99年春に入社したばかりの頃、新入社員第1次研修としてビジネスマナーなどの教育を受けたばかりなので(注7)、結構ビジネスマナーのあり方として気になっている。常識に照らし合わせて考えれば、いくら何でもこのような電話応対はふさわしいとはいえない。
一方、この音声ファイルの冒頭を聴いてみると、渉外監理室が会社員のあまりにしつこい問い合わせにうんざりしている様子が窺える。最初は普通のサポート窓口が担当していたのだが、手を焼いた末やむなく渉外に回した。厳しく突き放し、ビシッと終わらせたかったのだろう。しかしそれはとんだやぶへびだった。「説明はもう済んだ。二度と掛けてくるな。」といった言動に彼は憤慨し、例の発言を録音して尻尾を掴んでしまったのだ。
そして東芝は謝罪を迫られたが、謝罪は苦渋の選択だった。というのは、謝罪することは全面的に自分に非があると認めることであり、すなわち相手に全く非がないと認めてしまうのである(注8)。確かに謝罪しなければ誠意のなさを世間から批判されるが、かといって謝罪すれば会社員の行為を糾弾できなくなる。もしも、

「弊社の社員の不適切な応対があったことを、重ねて深くお詫び申し上げます。しかしそもそもの発端はお客様のあまりに極端なクレーマー行為であり、それに業を煮やして弊社の渉外監理室があのように応対したのです。

と付け加えたならば虻蜂取らず、喧嘩を売ってるだけで謝罪にならず、むしろ言い訳がましく不愉快である。東芝はお客様への誠意からというよりも、単に騒ぎを鎮めるとか企業イメージを守るために仕方なく頭を下げたように見える。

ここで議論しておきたいのは、果たしてビジネスマナーのなっていない相手に対しても、マナー良く応対しなければならないのか(注9)?という問題である。確かに世間ではよく

お客様は神様だ

というが、これは相手が間違っていたとしても要求に「何でも」沿うようにし、相手を不満・不愉快にさせないようにしなければならないという意味なのか?そんなはずはない。もしそうだとしたら、例えば客が「タダにしろ」と言ったら代金を取ってはいけないことになり、何の為に会社を経営しているのか分からなくなる。
そうでなくても商売とは客相手ゆえ、とかく弱い立場に立たされやすい。何しろ消費者がいるから企業が儲かるのだから。しかし消費者は自分の満足のために商品を購入しているわけであって、メーカーを儲けさせるために買っているわけではない

……そもそも、この担当者は既にキレていたのである!ビデオテープに寿命があるのと同じように、人間誰しも忍耐力には限界がある。どんなにビジネスマナーをよくわきまえた人でも、我慢の限界を超えればマナーもへったくれもない。考えようでは、この渉外担当の態度は当たり前なのである。

仏の顔も三度

それに、あまり知られていないだろうが、メーカーの保守サービスはつらいのだ!開発・設計・販売はあらかた人員や予算などの計画が立てられるが、保守サービスは不良の予測がつかないのでそうはいかない。だからサービスはどうしても後手に回りがちで、効率が悪く、競争相手がいないこともあって(注10)、料金が高くなりがちだ。しかも言葉は悪いが、他人の尻拭いをしているわけだから、やる気は起きにくい。
この事件は、東芝も含めた「メーカー」といわれる会社全てが抱えるこの悲しい宿命を、世間に知らしめてしまったように筆者は思う。メーカーに勤める筆者にとって、この事件は決して対岸の火事ではない。渡る世間にクレーマーがいる以上、どの企業に火の粉が飛んでくるか分からないのだ。あー、つらいつらい……。(-_-;)


さてさてこの事件、結局どちらが勝ったのかは決着はつかない。……おっと、市原越前守様の御出座しだ!ここは越前守様にお願いして、お裁きを待つことにしよう。

エッヘン!拙者は江戸南町奉行所、市原越前守俊介でござる。会社員殿、東芝殿、各々方どちらも、うそ偽りの無きよう。

さてさて東芝殿、言い分を申せ。なになに?会社員殿のホームページのせいで営業活動を妨害されたから賠償金3両よこせとな。会社員殿、そちの言い分は何か?ふむ、無礼をはたらいたものに賠償を要求される筋合いはないとな。
東芝殿、町井副社長が会見して会社員殿に謝罪したというが、それでかつ業務妨害の賠償をせよだと?往生際の悪い企業よのう。そちには忍耐を忘れ、会社員殿をお客様と扱わず渉外監理室に回し、暴言を吐いた責めあり、よって要求する3両全てが通らないと重々覚悟せよ。それから会社員殿、そちは客ゆえ、メーカーの東芝殿に何なりと苦情申し付けること許される。されどそちが執拗に問い合わせて発端を招いたこと、過激なる表現でさまざまな誤解を招いたこと、責められるべし。
……しかしじゃ、拙者はそちたち2人に1両の褒美をとらせたい。会社員殿は果敢にも商品の不備を訴え、またインターネットなる文明の利器をよくぞ利用し、メーカーのサポート問題を提起したこと、誉めてつかわす。それから東芝殿、そちはこの苦しい時に結論を急がず、迷いながらも事を荒立てず冷静に判断し、熟慮の末謝罪という最も賢明な判断を下した。よって誉めてつかわすぞ。

ゆえにじゃ、この裁き、まず会社員殿が払うは1両とする。それに拙者がとらせる1両の褒美をつけて、合計2両を東芝殿にとらせる。会社員殿は執拗なる問い合わせと過激なる表現をした報いで1両の損、東芝殿は取り乱し会社員に無礼を働いた責めで、3両のところを2両になって1両の損、拙者はこのお騒がせ問題にやじ馬根性で首を突っ込み、訪問者に非難されるを承知で独断と偏見で裁こうとした報いで1両の損でござる。

これにて、一件落着!

「3方1両の損」お見事なお裁きでした!

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